【論語に学ぶ学びの本質】「学びて思わざれば則ち罔(くら)し。思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し。」

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私たちは日々、様々なことを学び、知識を吸収しています。しかし、ただ情報を詰め込むだけでは、真の意味で自分のものになっているとは言えません。

知識をインプットするだけではダメ、自分の頭であれこれ考えるだけでもダメ。

二千年以上前の論語には、学びの本質について深く洞察した一節があります。

「学びて思わざれば則ち罔(くら)し。思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し。」(学而第二)

この言葉は、「学ぶ」ことと「考える」ことの重要性と、そのバランスについて教えてくれます。今回は、この格言を紐解きながら、私たちがより効果的に学び、知識を血肉とするためのヒントを探っていきましょう。

格言の解説:「学びて思わざれば則ち罔し。思いて学ばざれば則ち殆し。」

この格言を直訳すると、「学んでも考えなければ、道理がよくわからず、ぼんやりとしてしまう。考えても学ばなければ、独りよがりになり、危険な状態になる」という意味になります。

孔子は、知識をインプットする「学び」と、その知識を深く掘り下げ、自分の頭で理解する「思考」の両方が不可欠であると説いています。どちらか一方に偏ってしまうと、真の理解には至らず、学びの効果が薄れてしまうのです。

「学びて思わざれば則ち罔し」とは

「学びて思わざれば則ち罔し」とは、知識を詰め込むだけで、自分の頭で深く考え、咀嚼することを怠ると、その知識は表面的で、本質的な理解には繋がらない状態を指します。 まるで本を読むだけでその意味を理解しようとしていない、結果として、その知識を応用したり、新たな状況に対応したりすることが難しくなってしまいます。

「思いて学ばざれば則ち殆し」とは

一方、「思いて学ばざれば則ち殆し」とは、自分であれこれ考えるだけで、先人の知恵や確立された知識を学ぼうとしないと、独りよがりの考えに陥りやすく、誤った方向に進んでしまう危険性がある状態を指します。井の中の蛙大海を知らず、ということわざにも似ています。自分の狭い視野だけで考えても、深い理解や新たな発見には至りにくいのです。

現代社会における学びと思考の重要性

この論語の教えは、情報が溢れかえる現代社会において、ますます重要性を増しています。

  • 情報リテラシーの向上: 大量の情報の中から、必要な情報を見極め、批判的に思考する力が求められます。
  • 主体的な学習: 受け身で知識を吸収するだけでなく、自ら問いを立て、深く探求する姿勢が重要です。
  • 問題解決能力の育成: 学んだ知識を応用し、複雑な問題を分析し、解決策を見出す思考力が不可欠です。
  • 創造性の開発: 既存の知識を組み合わせ、新たな発想を生み出すためには、深い思考と幅広い知識が必要です。

まとめ:「学び」と「思考」の車の両輪

論語のこの格言は、「学び」と「思考」は、あたかも車の両輪のように、どちらが欠けても前に進むことができない関係であることを教えてくれます。知識をインプットするだけでなく、それを自分の頭で深く考え、理解することで、知識は初めて血肉となり、私たちの行動や判断をより良い方向へと導いてくれるのです。

私たちは、日々の学習において、「学ぶ」ことと「考える」ことのバランスを意識し、より深く、より効果的な学びを追求していきましょう。

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