日常生活や仕事において、「頑張りすぎ」「やりすぎ」といった言葉を耳にすることがあります。目標達成のために努力することは大切ですが、度が過ぎるとかえって逆効果になることも少なくありません。
二千年以上前の論語にも、このような「過ぎること」の危険性について、鋭く指摘した一節があります。
「過ぎたるは猶及ばざるがごとし。」(先進第十一)
この短い言葉は、物事のバランス、中庸の精神の重要性を教えてくれます。今回は、この格言を深く掘り下げ、現代を生きる私たちにとってどのような意味を持つのかを探っていきましょう。
格言の解説:「過ぎたるは猶及ばざるがごとし。」
この格言を直訳すると、「やりすぎることは、足りないことと同じくらい良くない」「やりすぎるくらいなら、足りない方がまだ良い」という意味になります。
孔子は、弟子の言動を通して、この教えを説きました。弟子の一人である子貢が、ある人物について「少し行き過ぎたところがありますが、基本的には良い人物です」と評したのに対し、孔子は「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」と答えたとされています。
この言葉からわかるように、孔子は、中途半端で終わってしまう「足りない」状態はもちろんのこと、熱意や正義感が強すぎるあまり「やりすぎてしまう」ことも、本質的には同じくらい問題であると考えていたのです。
なぜ「過ぎる」ことも「及ばない」ことと同じくらい良くないのか
では、なぜ「過ぎる」ことも「及ばない」ことと同じように問題なのでしょうか?
- 視野狭窄に陥る: 何かに熱中しすぎると、周りの状況が見えなくなり、客観的な判断ができなくなることがあります。
- 無理が生じる: 過度な努力は心身の疲弊を招き、長期的に見ると持続可能性を損なう可能性があります。
- 反発を招く: 強すぎる言動は、周囲の人々からの反感や抵抗を生むことがあります。
- 本質を見失う: 手段が目的化し、本来の目的を見失ってしまうことがあります。
- 柔軟性を失う: 一つの方法に固執し、状況の変化に対応できなくなることがあります。
- 謙虚さが大事: 自信過剰よりも謙虚な方が伸びしろがある可能性があります。
「及ばない」場合は、目標を達成できなかったり、成長の機会を逃したりする可能性がありますが、「過ぎる」場合も、同様に望ましい結果を得られないばかりか、新たな問題を生み出してしまう可能性があるのです。
現代社会における「ほどほど」の智慧
この論語の教えは、現代社会においても多くの示唆を与えてくれます。
- 仕事におけるワークライフバランス: 仕事に熱心に取り組むことは大切ですが、過労は健康を害し、創造性を奪います。適度な休息を取り、仕事とプライベートのバランスを保つことが重要です。
- 人間関係における距離感: 親しい関係を築くことは大切ですが、過度な干渉は相手を疲弊させ、関係性を悪化させる可能性があります。適切な距離感を保つことが大切です。
- 情報収集における取捨選択: 情報収集は重要ですが、情報過多になると混乱を招き、本質を見抜くことが難しくなります。必要な情報を適切に取捨選択する力が必要です。
- 健康管理における適度な運動: 健康のために運動することは大切ですが、過度な運動は体を痛める可能性があります。自分に合った適度な運動を継続することが重要です。
このように、「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」という言葉は、あらゆる面においてバランス感覚を持つことの重要性を教えてくれます。
まとめ:「中庸」という生き方
論語のこの格言は、極端に走るのではなく、常に「中庸」の精神を持つことの大切さを教えてくれます。「中庸」とは、状況に応じて適切に対応する柔軟性であり、バランスの取れた生き方そのものです。
私たちは、何かを始める時、あるいは熱心に取り組んでいる時こそ、この「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」という言葉を思い出し、自分自身の言動を振り返ってみる必要があるのかもしれません。